空白が怖い







空白が怖い。
何もしてないと、嫌なイメージが襲ってきて
いたたまれなくなる。











だから音楽を聴いたり本を読んだり過食したり
絶えず悪いイメージを感じないようにする。
ある程度は逃げることが大切だけど、
能動的な前進を感じるには、
怖さも痛みも弱さも全部受け止めなければならない。








弱いとかダメ人間とか、
そういう感情を持つことがいけないことを評価するのではなく、
あるがままのネガティブを受け容れる。









悪いイメージの正体と向き合う。
そこから始まるのだと思う。























専門学生のときは授業は可能であれば睡眠する。
休み時間は常に音楽やラジオを聴き、本を読んで
何も考えない状況を回避していた。



女子ばっかりのクラスに持て余していたという事もあって。








元からの人間不信もあいまって、2年間
結局友達は出来なかった。

ただ、幸運なことに
男性の先生と仲良くなれた。仲良くというかかなり深い感じだった。
唯一の理解者だった。かれがいなければ卒業はあり得なかっただろう。



必死に卒業することだけを考えて何とか耐えた。
何も考えないために、情報を必死に脳に入れようとしていた。



何を考えたくないのか。


「食べたい、吐きたい」という消しても無視しても幾度と無く押し寄せてくる
思考から、必死で逃げようとしていた。


逃れられなくて、休み時間の度にチョコレートを口にしたり
ラムネ、ガムを噛み、なんとか食べ物から逃げつつ食べている気になれるほうほうで
自分を保とうとしていた。


通学途中の自転車を漕いでいるときでさえ、チョコを
つまみながらでないと通学、帰宅できないくらいに
”飢えていた”ときもあった。


時には誰もいなくなった放課後に一人で勉強しているわけだ。
自宅では100%勉強をやれる精神状態にはなれないから、
学校で終らせないと、何もできなくなってしまう。



そのときもチョコレートをお供になんとかしなきゃって
頑張っているのだ。

学校のトイレで
ハイチュウだけで吐いたこともある。



あのときは、本当に絶望だった。
いったい、何がしたかったのだろうって、情けなさを越えて
自分が怖くなった。



あとは、週4でコンビニの深夜のアルバイトをしていた。
家にいて過食につかまって通学できなくなるのが怖いので、
深夜に働いて、そのまま学校に行けるのが理想だったし、
余計な事を考えたくなかった。




というか、正直、あの二年間付近の記憶は
モヤにかかっていて、
本の断片しか思い出せない。












自分を殺して、生きるためだけに生きて、
出席のための出席をして、何も得られなかった。









何も築けない、けど今なら
大事なことに気づけそうな時期だった。




やっぱり、人と触れ合っていたい。
人とかかわっていたというのが、根本的な願いなのだろうっていまならわかる。







だれでもいいから、理解者が欲しかったのだと思う。
丁寧に作った壁を取っ払ってきてくれるような
存在を待ち構えていたのかもしれない。












結果としては、ただ「専門学校卒」という成績が残っただけで、
他には全く、人間関係とか社会スキルとか、生きていく上で、
もっと大切なものが
まったく身についていないという結果になった。








何かを得るためじゃなくて、ただただ、失うのが怖くて耐える。
耐えるだけの時間ほど人間が苦痛を感じる時間も、そうないだろう。