空白が怖い
空白が怖い。
何もしてないと、嫌なイメージが襲ってきて
いたたまれなくなる。
だから音楽を聴いたり本を読んだり過食したり
絶えず悪いイメージを感じないようにする。
ある程度は逃げることが大切だけど、
能動的な前進を感じるには、
怖さも痛みも弱さも全部受け止めなければならない。
弱いとかダメ人間とか、
そういう感情を持つことがいけないことを評価するのではなく、
あるがままのネガティブを受け容れる。
悪いイメージの正体と向き合う。
そこから始まるのだと思う。
☆
専門学生のときは授業は可能であれば睡眠する。
休み時間は常に音楽やラジオを聴き、本を読んで
何も考えない状況を回避していた。
女子ばっかりのクラスに持て余していたという事もあって。
元からの人間不信もあいまって、2年間
結局友達は出来なかった。
ただ、幸運なことに
男性の先生と仲良くなれた。仲良くというかかなり深い感じだった。
唯一の理解者だった。かれがいなければ卒業はあり得なかっただろう。
必死に卒業することだけを考えて何とか耐えた。
何も考えないために、情報を必死に脳に入れようとしていた。
何を考えたくないのか。
「食べたい、吐きたい」という消しても無視しても幾度と無く押し寄せてくる
思考から、必死で逃げようとしていた。
逃れられなくて、休み時間の度にチョコレートを口にしたり
ラムネ、ガムを噛み、なんとか食べ物から逃げつつ食べている気になれるほうほうで
自分を保とうとしていた。
通学途中の自転車を漕いでいるときでさえ、チョコを
つまみながらでないと通学、帰宅できないくらいに
”飢えていた”ときもあった。
時には誰もいなくなった放課後に一人で勉強しているわけだ。
自宅では100%勉強をやれる精神状態にはなれないから、
学校で終らせないと、何もできなくなってしまう。
そのときもチョコレートをお供になんとかしなきゃって
頑張っているのだ。
学校のトイレで
ハイチュウだけで吐いたこともある。
あのときは、本当に絶望だった。
いったい、何がしたかったのだろうって、情けなさを越えて
自分が怖くなった。
あとは、週4でコンビニの深夜のアルバイトをしていた。
家にいて過食につかまって通学できなくなるのが怖いので、
深夜に働いて、そのまま学校に行けるのが理想だったし、
余計な事を考えたくなかった。
というか、正直、あの二年間付近の記憶は
モヤにかかっていて、
本の断片しか思い出せない。
自分を殺して、生きるためだけに生きて、
出席のための出席をして、何も得られなかった。
何も築けない、けど今なら
大事なことに気づけそうな時期だった。
やっぱり、人と触れ合っていたい。
人とかかわっていたというのが、根本的な願いなのだろうっていまならわかる。
だれでもいいから、理解者が欲しかったのだと思う。
丁寧に作った壁を取っ払ってきてくれるような
存在を待ち構えていたのかもしれない。
結果としては、ただ「専門学校卒」という成績が残っただけで、
他には全く、人間関係とか社会スキルとか、生きていく上で、
もっと大切なものが
まったく身についていないという結果になった。
何かを得るためじゃなくて、ただただ、失うのが怖くて耐える。
耐えるだけの時間ほど人間が苦痛を感じる時間も、そうないだろう。