原因の原因











原因にも原因がある。






















その事を理解できるようになるなら、
原因を探ることと、犯人を責めることの区別がつき
原因を憎むことはなくなるだろう。













人は、その人の行動は許せなくても、
その行動の意味が理解出来れば、
少しは楽になれるのです。




何が原因なのか分からない欲求不満がなくなる訳ですから。





















自分が何に苦しんでいるのか
何のために努力しているのかを自分自身で意味がつかめて
納得していれば、
大抵のツラさを乗り越える力を私達は持っているのだ。



























原因を追いかけても意味が無い、犯人がわかったところで
過去は変わらない。だから未来に目を向けましょうってのが
近年の精神科医療の通例になっているようだけど、
犯人というか原因を知るのって結構有用だと思っている。












スッキリするんだよね。






あぁそういう事があったんだって。底を恨むんじゃなくて
事実を認識して受け容れていく。
そうすると、不思議と怒りも消えて前向きな心になる。








過去を乗り越えると過去に縛られていてエネルギーを
前に向かう力に変えられる。



かゆい時に虫にさされたってわかると安心する。
原因が分かるだけで安心できることもあるんだと思う。








ただそれは、原因を責めて憎む、という大前提はある。
原因の原因というか、原因も原因となりたくてなっていない、無意識に
作られて物だってこともあるから。



親には親の生きていく理由があった
問題を未消化のままに必死に生きてきた日々があった。








そういう誰にでも抱えている人生があるんだって言う
想像力が働くところまで辿り着けば、人は他人にも自分にもやさしく成れるのではないだろうか。























悩みと迷いは違う。









悩みというのは何が原因か分かっている状態。
過去の傷が解決しないから僕は前に進めない。





問題は解決すればいい。




悩むって事はなにか問題があって、それが解決されていないこと。
問題は解決すればいい。




悩みを見つけ出して対処していくのは苦しいけれど
ゴールが見えているから、
幾ばくか精神的にも楽になれる。










ただ、何が苦しいのか分からない、漠然とした不安、苦悩に
悩んでいるのが現代人の心の悩みだ。
何が自分を苦しめているのかわからない。
自分を苦しめている対象が何なのか分からないから
対処の方法が分からない。



色んな理由が絡み合っているのは分かっているが
それが何なのか分からない。













漠然としたまま苦しんで、なんとなーく解決していくことが
無いとは言えない。


自然な流れで日常をこなしているうちに解決する悩みもあるだろう。

















けど、その不安が日常生活を脅かすような不安ならば
正体を知って、その正体に集中的対処していく必要が
あるのではないだろうか。
流れではなく、きちんと向き合っていく。




悩みの正体がわかれば安心する。
問題が何なのかという対処すべき対象が分かれば
次の行動をとりやすい。







まず、悩みを悩みとしてきちんと正体を見極めて
悩みと向き合っていく。
何が自分を苦しめているかがわかれば、それを退治するなり仲良くするなりすればいい。











漠然と苦しめている正体を「知る」作業、つまり、自分を見つめ直すことからはじまって
何が悩みなのかを「発見」する。あとは発見した(といっても、ここからがツラいのだが)
悩みという名の問題をどう解決していくのか模索して
ちょっとずつ前進すればいい。










だから、まずは悩みの正体は何なのか、
自分としっかり向き合っていくことが
大切なのだと思う。







悩みが何なのか、
あとはそれに向き合って対処していく。










こうやって得体の知らない不安から得体の知れた不安、原因が分かると
少し安心するし、自分が何をすればいいのかが見えてきて
意欲も僅かながら出てくる(果てしなすぎてやる気がなくなるのもしばしばだけど)
はず。























ただ、問題を見つめる為にも準備が必要だ。
準備運動をしないで全速力で走れば、ケガをしてしまうのは、
筋肉だけでなく心も一緒なのだ。










過去が辛いものだとしたら、
ツラさに耐えるだけの心の強度を高めないといけない。






強度を高めるには、悲しさや辛さから逃げないで味わうこと。
漠然とした不安を感じるときにも、感じていることから逃げないで、
しっかり悲しみ抜く。




お酒とか薬で一時的に逃れられても心は強くならない。
悲しみになれて現実のツラさを体験することで心が強くなる。






心が強くなっていき始めて、
悩みの正体を探る旅に出れるのだ。
正体を知ることは必然的に痛みを伴う。
その時の痛みに耐えるためにも、
漠然とした不安の段階での感情から逃げない。











感じないように逃げている時期があっても当然。
それは心の準備というか向き合おうかなって思える時が来るのは
人それぞれの速度がある。僕だったら7年かかった。
漠然とした不安の感情を味わう準備が7年なんだ。













もちろん、もっと早く抜け出していく先輩がたくさんいるのだから、
僕のはかなり長期の部類に入るのだろう。




ただ、逃げて居る時も小さなダメージを受けてそれが蓄積されているし、
毎日がどうしようもなく空しくなる。







だから、いつかは向き合わなきゃ、向き合ってもいいかもって
思える日が訪れるのだと思う。
自分を取り戻したいって、思いが行動に変わる日が来るのだと思う。











過去を乗り越えていくには悲しみ味わうことは
絶対に逃れられないと思う。


過去は消えてくれないので、味わって納得して仲良くしていく。
そうすれば過去の意味が変わり、
過去を悔いて自分を責める力が弱まるのだと思う。







弱さを受け容れて過去を越えていく。
原因を知ることで心と折り合いを付けて、過去から離れて
未来を作っていける現在を過ごす。












人は、いつでも再スタートが出来るのかもしれない。




困難さを受け容れる覚悟が固まれば、多少の揺れはあっても、
崩れ切ってしまうことは無いだろう。







まずは現実を認めて受け容れていく、
ここから心のたびは始まるのだと思う。