不安は迂回させたい



不安とか恐怖とか、
心を痛めるような感情は極力感じたくないというのが
私達の本音だ。












可能であれば楽しい、嬉しい、心地よい、というポジティブな
感情だけを感じながら生きていたいのだ。













確かにそれが理想なんだけれど、
現実として、ある特定の感情だけを選択して
感じたり感じないようにしたり、なんてことはできないのが人間だ。



だから、不安や恐怖だって感情だから
人間として当たり前に感じる感情だし
感じるからこそ人間なのだ。












不安に対する処方箋としては
不安を感じないようにするのではなく、
不安を感じても、それなりに取り乱さない程度に
自分の心と身体で処理できるようにすることだ。


完璧に不安を感じないようにすることなんて出来ない。
それなのに、不安そのものを感じたくないって言っている人が
あまりにも多すぎるような気がする。




















不安の解消法について、もうちょっと考えてみると
例えば、保険に加入する時。




医療保険、生命保険に入って安心なのは、
何かが起きた時の保証がある時だ。




残念ながら人間には一定の確率で起きる
不慮の事故を防ぐ力は無い





だとしたら、不慮の事故が起きた時に対する保障が
人々に安心を与えているといっても良い。


保険に入ったからって
事故に遭う確率がゼロになるわけではない。



それでも、何かあった時に助けがある、
そう思えることが、不安を軽減してくれるのだと思う。




トラブルを0にするより
起きた時にどう対処するか、ということを
マニュアル化しておいたほうが良いとされる所以と一緒ですね。





















しかい近年は精神科に通うことに抵抗がなくなってきていることと、
その精神科薬が効果があるという話が広がっているからか、
不安という当たり前の感情を感じたくないといった人間の持っている機能に反して、
精神科に薬を求めて走る人が多すぎるような気がする。


薬を飲めば、本気で不安を感じなくて済むようになるんだって
思っている人が多すぎる。










確かに国の基準で承認されているし
外国でも効果が出ている薬なのだから
それなりの効果はあるのかもしれない。



けれど、最近の事情を注視していると
人間として当たり前に感じる感情までも
薬によってコントロールしようとしているように見受けられる。










フラッシュバックなどの著しい重たい不安を感じないように
薬を飲むのではなく、もっと、日常的な(ちょっとした仕事とか人間関係の)不安を
感じないようにするために服用しているような気がしてならない。





けれど、不安という「感情」ですよ?
人間が不安になるのは当たり前ですよね。



だって、未来の出来事が全てうまくいくように
人生は設定されていないから。
だからこそ、不安は避けられない感情。






虐待とかDVなど、深く重たい経験から来る不安を
薬で和らげる効果はあるのかもしれないけれど
日常に密着したマイナスの感情を感じることすら
すごく嫌悪するようになっている。








痛みはを感じるのは負け、
苦しみを認めるのはプライドが許さない
ツラさを認めるのはミジメすぎて耐えられない。



そんな風に、人間として
当たり前に抱く感情を避けよう避けようとしているのかも
しれません。



ただ、薬で不安を消すことなどできない。
でも、薬ならなんとかしてくれるはず、量が足りないだけ
種類を増やせば…と、どんどん薬漬けになっていく。





本当は不安や悲しみと真剣に向き合って
その感情との良い付き合い方を、
人間関係の中で学ばなければいけないのに
現実から目を逸らして、ただただ薬に頼ってしまう。












たとえ薬で不安を消すことが出来たとしても
人が、誰かとのフレアイを求めて
人間関係を持とうとしている限り、
やっぱり、不安はきえることはないでしょう。
他人の心は見えないしコントロールすることもできないから。






なんで、不安や怒りを持つ事を
嫌悪したり恥じたりしてしまうのか。







もちろん、社会で収入を得るためには
負の感情はなるべく表に出さないことが好ましいし求められる。
時には、そういうものは押し殺さなければならないときもあるでしょう。






でも、それはあくまで仕事上だけの話。
10時間働いて8時間眠ったとしても
素になれる6時間が残っているはず。





けれども、そこでも仕事のように負の感情を出すことをためらって
嫌悪してしまうのです。





なぜでしょうか








これは多分、イイコでありなさい、ということを
ずっと”教育”として言われてきた、または良い子にならざるを得ない状況下で
育ったことに起因しているのでしょう。







そうして
不安を感じない = 良い子 = 周りから評価される人





という風な価値観を植えつけられてしまうのだ。
だから、必死で不安を感じない人間になりたいと思うのだ。





小さな頃に、自分の感情を認められていない、
マイナス感情を持つことを歓迎されない環境で育つと
不安に対しても間違った対処の仕方をしてしまうのだ。








親がしっかりと子供の全ての感情を出すことを認めて受け止めてあげることをしなければ精神科のクスリで全てを忘れたいという人は、
この先どんどん増えていくのでしょう。













嘘の自分を保つために
結局疲れてしまって不幸になる。






ネガティブな感情でも、
それも生きている自分なんだ!って
ありのままに感情を見つめる力が
現代では求められているのかもしれない。