生きる力







過食嘔吐の最悪期からは到底考えられない
現象ではありますが、生きることに少しずつ
意欲が湧いてきたような気がしています。














早く人生なんか終わればいい
食べ物に支配された世界なんか
終結して欲しいって
3000日以上、ずっと思っていたのに、近頃では



自分は生きていたい!
まだ人生諦めたくない!!という感覚
を持つ時間が長くなっています。



もちろん、役立たずな自分なんか消えたいって
思うこともまだまだ日常茶飯事ですけどね。






「耐えれば明るい未来があるはず!」


って思った10分後には


「やっぱり死んだほうが楽だ」



てなる。













なんというか最悪な状況と比べて。
少なくともちょっとは前を向いているような
無理しているだけのような…







自分の症状の改善って
他人と比べていると、進歩が感じられなくて
空しくなるから、過去の自分の症状と比べるのがいいと思います。





過去より、ちょっと楽だったり生きやすいと感じる場面が増えたなら
それは改善されているって証拠。
人の治療速度は気にしない気にしない!






で、その、自分ってまだ死にたくないんだなぁって
感じるのはどういうところかというと
最も顕著に感じられるのは
図書館で時間を過ごして(つぶして)いる時に
あぁ、まだ諦めたくない自分も要るんだ、って思えるようになりました。


















さて、僕はここ1年くらいは週6日で
図書館や公民館に通っています。





何も本が読みたかったり勉強をしたくて
毎日通いつめているわけではありません。






自宅に居ると過食嘔吐が始まるので、それよりは
まぁ図書館でムダな時間を過ごした方が、
まだマシなのかなぁ〜という消去法で
図書館に行くのです。







行くというよりは過食する自分から逃避する場所であり
過食から守ってくれるシェルターみたいな役割も感じていました。







すくなくとも、図書館に居る間は
食べ物は手に入らないし、
食べ吐きできないですからね。











それに、家にいなければ
家族が休まる時間だって与えてあげられる(あげるってのは失礼だけど)
家にいるよりは多少身体がつらくても、
受け容れてくれる場所があるなら、外に出ていたほうが
みんなのためにも自分の為にも成るんだと思います。



















じゃあ、なんで図書館なのかというと
入場にお金がかかるわけでもないし(税金はかかっているが)
長時間いても文句言われないし、眠っていても怒られないetc




まさに、過食から逃れて時間をつぶすには、
これ以上最適な場所はないと思いませんか?







ただ、今でこそ会館から閉館まで(10時〜19時)
居座れるようになりましたが
最初の方は、全然ダメでしたね。
すぐ帰って、過食したくなるんですよね。















図書館に居ることが出来ない
(食べたい吐きたいという気持ちばかりで2時間以上いれない)


居ることはできても、本を読めないことで悩む。


本を読んでの感想とか知識が身についていない自分の能力に悩む





この段階を経てくると、いつのまにか
食べ物から逃げるために無料で長時間いれる場所で時間をつぶそうと思っていたのが本を読んで知識を身につけられない、という事に悩むようになってくる!





図書館に居ることが出来ない → 


居ても本が読めない  → 


本からの知識が活用できない






という風に悩みが移り変わる。
これって実はすごい進歩なんだ。




だって、食べ物から離れたくてただ時間つぶしに逃げ込んでいた場所
だったはずなのに、ある時期を超えると、有効な時間にしようとしている、つまり、
食べ物にとらわれ続けた生活に少しずつ変化
が芽生え始めたってことだから。




食べ物に支配された思考が少しずつ、
本の世界と繋がろうという余裕を持つように
なってきたという証拠であり、人生を豊かにしたいという生きる意志をも
取り戻したということなのだから。



頭の中が食べること、吐くことで埋まっていれば
本を読む余裕なんか無いし、文字が頭に入るスペースなんかない。






けれど、本を読んで知識が身につく楽しさを学生時代以来に取り戻したということは頭を支配する過食嘔吐という考えの割合が少しずつ減ってきているという
何よりの証拠でもあるのだ。