ある程度は必要な行為





栄養のこと、身体のこと、正しいダイエット方法、脳の仕組みについて、
など、摂食障害を患う前に学べていたなら、
痩せたいという思いが強いほど
拒食やゼリーしか食べない、
食べない自分に優越感を持つようなこともなく、
もう少し、身体の仕組みに
添って理に叶った方法で痩せようとしていたはず。











その仕組みをある程度理解しつつある今、
それでも過食嘔吐がやめられないのは、
習慣化しているというのはもちろん、
食べることが楽しみだし過食嘔吐が唯一の
ストレス解消だからというのは間違いない。



しかし、そんなことをしてもやせることはできないし、社会に復帰できる
心と身体と脳にはならないってわかっている。




それでも、過食嘔吐を手放せない










痩せる、見た目を良くしたい、という思いのほかに
満たされない何かを埋めている、という役割が過食嘔吐のする理由の
大きなパーセンテージを占めていることがわかってしまう。



痩せたい気持ちに隠されていた満たされない思い、
(痩せて)誰かに認めて欲しいという欲求、
そういうものに気づかざるを得ない。





痩せることが目的になってしまう。そこから抜け出すには、
なんで痩せたいのか、という裏側に隠された自分の気持ちを向き合うことが大切。





痩せることだけが目的のように思えても、根底には、
痩せることで、認められたい、注目されたい、
愛されたい、という目的があって、
過食嘔吐は、ちゃんとした”手段”として受け止められるのだ、





手段として認めれば、「あぁ今の自分には必要なんだ」って納得できて
少しではあるが罪悪感が減る。




必要であるってことは日常になくてはならないものなのだから、
簡単には手放せない。手放せない自分だって認めてしまえば、
過食嘔吐と仲良く付き合っていけると思う。



やめられるに越したことはないけれど、
必要だから自分の現れてくれたって思えば、ちょっと楽になれるはず。
















安心感ってのは、ようは「自分は一人じゃない、
だれかが気にかけてくれている」
という事なのだと思う。人から関心を持たれて、自分の気持ちを
聴いてくれる人がいるということ。
それは自己肯定感につながっていく。



痩せることは何かと安心感を簡単に獲得できる。
数字と成って分かりやすいし、注目される。
自尊心が回復する気がする。