ある程度は必要な行為
栄養のこと、身体のこと、正しいダイエット方法、脳の仕組みについて、
など、摂食障害を患う前に学べていたなら、
痩せたいという思いが強いほど
拒食やゼリーしか食べない、
食べない自分に優越感を持つようなこともなく、
もう少し、身体の仕組みに
添って理に叶った方法で痩せようとしていたはず。
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その仕組みをある程度理解しつつある今、
それでも過食嘔吐がやめられないのは、
習慣化しているというのはもちろん、
食べることが楽しみだし過食嘔吐が唯一の
ストレス解消だからというのは間違いない。
しかし、そんなことをしてもやせることはできないし、社会に復帰できる
心と身体と脳にはならないってわかっている。
それでも、過食嘔吐を手放せない
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痩せる、見た目を良くしたい、という思いのほかに
満たされない何かを埋めている、という役割が過食嘔吐のする理由の
大きなパーセンテージを占めていることがわかってしまう。
痩せたい気持ちに隠されていた満たされない思い、
(痩せて)誰かに認めて欲しいという欲求、
そういうものに気づかざるを得ない。
痩せることが目的になってしまう。そこから抜け出すには、
なんで痩せたいのか、という裏側に隠された自分の気持ちを向き合うことが大切。
痩せることだけが目的のように思えても、根底には、
痩せることで、認められたい、注目されたい、
愛されたい、という目的があって、
過食嘔吐は、ちゃんとした”手段”として受け止められるのだ、
手段として認めれば、「あぁ今の自分には必要なんだ」って納得できて
少しではあるが罪悪感が減る。
必要であるってことは日常になくてはならないものなのだから、
簡単には手放せない。手放せない自分だって認めてしまえば、
過食嘔吐と仲良く付き合っていけると思う。
やめられるに越したことはないけれど、
必要だから自分の現れてくれたって思えば、ちょっと楽になれるはず。
☆
安心感ってのは、ようは「自分は一人じゃない、
だれかが気にかけてくれている」
という事なのだと思う。人から関心を持たれて、自分の気持ちを
聴いてくれる人がいるということ。
それは自己肯定感につながっていく。
痩せることは何かと安心感を簡単に獲得できる。
数字と成って分かりやすいし、注目される。
自尊心が回復する気がする。