他責と依存













「子どもの成績が悪いも単位を落としたのも先生のせい」



あげくに




「朝起きないのも先生のせい」








「幸せになれないのは誰かのせい」


「満たされないのは自分だけ」





いつの間に、これほどまでの他責社会になってしまったのだろう。
いつの間に、自分の都合が悪いことは誰かのせいにするようになったのだろう。


心が寒くなる。














満たされていない人間同士の交流は
奪い合う関係になる。



私を満たしてくれるんでしょ?って常に相手に要求して、
それが満たされる形で相手から享受できることなんて殆ど無いから




満たされないのは他人のせい、全部自分以外の何かが悪い、
自分は完全に被害者だ。
被害者なのだから、能動的に解決に動く必要は無い。ということになる。







けれども、どんなに他人のせいにしたところで、
満たされない思いは消えない。けれども、能動的に動くのは面倒。
何か簡単でお手軽な方法は無いか…



そうやって、依存物に頼る。
簡単に自分を忘れられて自分の感覚を離せるような
依存物に走る人が増えていく。




なんでも自分のせいにしていると
能動的に解決する気力が薄れてしまって、
解決までも他人任せになる。







そして自分の人生を失っていってしまうのだ。
















最近は、大した外傷体験とも言えない、”ちょっとしたイヤなこと”で
簡単に心の統合が崩れ、その嫌なできごとの前後の記憶を
意識から切り離してしまうのだろう。





その様子は、イヤな出来事に直面し
、落ち込んだり腹を立てたり反省する手間よりも、
それを心から切り離して、考えないようにしてしまうほうが、
ずっと簡単でラクなのだろう。












自分の内面を直面化できない。
自分の気持ちを無視する。けれど、自分の中心にあるものは
簡単にはごまかせない。


誤魔化すために強い刺激を求める。だから依存症が増える。











「してくれない」「やってくれない」だけでは
何も変わっていかない。自分もする、そして周りに率直にお願いする。
何かを変えるには一人では難しい時もあるけれど、望むだけじゃ変わらないよね、
自分からも動かないと。




クスリや医者に頼っていても、依存からは逃れられない。
別の依存先に移動するだけでは何も解決しない。