組み合わせjの問題







大人の顔色を計る能力ばかりを伸ばして
肝心の自分の生の感情を掴むという発育課題を
すっとばしてきてしまったのだ。





まさに、子供時代を失ってしまった。
子供時代の得たものを土台として大人へと少しずつ近づいていく。
だとしたら、土台が出来上がっていない子が勉強をできたりスポーツに優れていても、
それは間違っているのだともう。
















人間には幼少期には、環境、特に人間関係に左右されやすい。
子どもは感受性が強く、
周囲の人々の言葉や態度を鋭く感知する特徴があり、
親の言葉や態度が無意識のうちに子どもの心や性格を形成する。






子どもの精神健康には先天的な要素も否定できないが、
それ以上に子どもの小さい頃から
長く接している両親は大きな役割を果たしていると考えられる。




人付き合いが苦手な子どもの親も、人付き合いが希薄だったり、
人と付き合いたくても、上手く出来ないという問題を抱えていることが
少なくない。



これは、遺伝じゃなくて、親という”世界”を子どもが必死にコピーして
生きようととしてきたからだ。



子どもは、親を見て、親の生き方を必死に取り込む。


もしも取り込むもの、
そのものが人間関係に欠陥を抱えていた場合、どうなるだろうか。
ダメなものを取り込めば、
それはダメを受け継いでしまうだろう。









そして、子どもはそれを間違いだなんて気づかないし思わないし
思いたくも無い。


子どもにとって両親は世界で最も信頼している人だ。
その人が(故意じゃないにしろ)
自分を不幸にする人付き合いのパターンを
教えてるなんて、どうやって信じろというのだろう。















夫が新しい女性の生き方を受容できず、非協力的ないし、拒否的で
夫婦仲が悪くなり、しかも周囲の励ましたがない状況にいるとき、



お父さんとお母さんが、仲良くしていないなんて
考えられないというのが、子どもの本音だ。



仲良くしている夫婦に愛されていることが
子どもにとっての何よりの安心感になるはずだ。



仲が悪くない、じゃなくて、仲が良い、
二人に囲まれたい!って思いたいのだ。






子どもにとって大人の諍いというのは、ただただ恐ろしい。



血の繋がった両親の修羅場だからではなく、
目の前で我が身の何倍もの大きさの雄と雌が怒号を上げ、
そこら中の物をぶっ壊し、つかみ合いのけんかをしている。
その荒々しさがひたすらに怖い。


しかも、子供達はこの陰惨な戦場から決して逃げ出せないのだ。













・親同士の悪口がトラウマに


パパは家のこと、気にしてくれない。
ママはだらしない。


というように、お子さんの前で親が互いの悪口を言ったり、
愚痴をこぼしたりすることはないでしょうか。


そのときは、お子さんが見方になってくれることもあるかもしれません。
しかし、そうやってずっと悪口を聞かされると、
いつしか親のことを軽んじるようになるでしょう。


そうなると、反抗期になり何か問題が起こって、いざ



「お父さんに叱ってもらう、お母さんに任せよう」



としても、効き目がなくなってしまいます。



大人同士の悪口は、結局は、
互いの権威をつぶしてしまうのです。




そもそも、両親が互いの悪口を言うことは、
子どもにとって気持ちの良いものではありません。
子どもにとっては、どちらも自分の親であり、それが否定されることは
自分が否定されたような気持ちになり、それがトラウマになる危険性も。










子供の側が、たまたまひどく敏感で、
しかも自己抑制が強力な生まれつきであるような場合、
そのような子供は家族の不和や問題事などを過敏に察知してしまい、
「親に負担をかけまい」と強く意識しています。








ほめてもらえないこと=叱られる、
という感受性をたまたま持った子供、つまり
承認欲求が人一倍強い人格を持って生まれた



(あるいは両親が与えた環境で、
 自分の存在が認められていると感じにくいから
 承認に対して敏感になってしまう)



子供と、あまり子供の感受性に無関心で、ほめること認めることを
安易にしてはいけないという教育論を信じている親が組み合わさったら、
子供はどんどん自分の存在価値がわからなくなっていく。











大人は、充分に愛情を持って接したと言い、
子どものほうは、かまってもらえなくて寂しかった、
というパターンは精神疾患には良くあるパターンだ。




同じ空間で時間を一緒に過ごしているだけでは、
子どもは親にかまってもらったとは思えない。



勉強を監視されただけでは親との時間としては加算されない。
自分に関心を持ってもらったり、自分のワガママを聞いてもらったり、
有体に言えば、心が通うようなコミュニケーションがなければ、
子どもの親に愛されている感、は満たされない。






・大人の自己効力感の犠牲に。


自分の存在価値を感じにくい時代だ。
誰からも認めてもらえないし、回りは敵ばかりで弱音を言う相手もいない、
競争社会なのに、誰しもが成果をあげられない時代。

そういう自尊心とか自己効力感を満たす道具として
子供達が犠牲になっている。




何も男性だけではない。
女性だって、誰からも愛されている感じがしなくて、
自分の存在が不安になったときに、
母親という絶対的な自尊心を満たしてくれる存在として
子どもを利用する。



それは、子どもがかわいいのではなく、
自分を、母親という役割を与えてくれる相手だから子供がかわいいだけ。



もちろん、ある程度人間は自己中心的なモノだから
愛してくれる存在を利用して
自己重要感を満たすのは当然あることなんだけど、
相互的な愛の交換ではなく、自分が満たされるためだけに
相手を利用する、というのは、何か違う気がする。



まして、それが実の子どもなら、なおのことだ。








自分の思い通りにならないからって、
叱って、禁止することで、
一時的に問題行動を抑えることはできるかもしれません。
しかし、その奥にある本当の原因を探さなければ、
根っこが同じ、
別の問題が新しくおきてくることがあるでしょう。