ジェンダープレッシャーとしての摂食障害〜なぜ摂食障害は女性に多かったのか②〜



◎結論

女性には「痩せろ」という社会的なプレッシャーがある。
人間の生物としての恒常性に背いてまで社会が求める痩身にあわせるように生きている。


ダイエットによって恒常性が強烈に混乱させられて、食欲や正常な体型の自己認識ができなくなり摂食障害になる。


心の病(幼少期の環境が…)としての側面だけでなく社会からのプレッシャーによって身体を非人間的な方法で痩せさせようとしたことでも摂食障害は発症するのであって、それは現代の先進国なら誰にでも起こりうることなのではないか。













○総論


女性は痩せていると言う社会からのプレッシャー→


それにあわせた食生活運動をする→


食べ物を食べないといつかは限界が来る→



身体が飢餓状態になり脳も混乱→


満腹感が崩壊したり、認識能力が落ち痩せの基準が不健康な身体になってしまう。



社会学論的に考えると、幼い頃の環境とか自己肯定感が低い人とか、
従来の心理学的に摂食障害傾向にある性格や生育環境に合致しない人でも、摂食障害に罹患することがわかる。














ジェンダーとして女性に求められるもの




ジェンダーによる違い


どう考えても、容姿は男性よりも女性にとって重要である。


女性の自己評価は身体的魅力に結びついており、
女性の魅力は性的関係においてはさらに重大な問題となる。


体重過多の女性は同種の男性よりも厳しい評価を受け、
収入の面でより大きな代償を払う。

肥満女性は普通体重の女性よりも結婚の可能性が20%低い。

このような現状を見ると、
人が外見にこだわるのも無理のないことと思われる。

ある代表的な調査によれば、
女性の4分の3は自己イメージに影響を与える第一の要因は容姿だと応えている。

また、3分の1の女性が、容姿は仕事ぶりや知性より重要だ、実に重要な属性だと考えている。

人生のさまざまな面で最大の不満として挙げられたのは、
経済的成功を除けば、自分の容姿であった。

ヘアスタイルが崩れたと言うだけで、
自尊心を挫かれることもあるのだ。





思春期の子供の自尊心は容姿に左右されることが多い。

12歳ともなると女の子は、魅力的であることは
能力よりも重要だと考えるようになる。

自分の外見にしょっちゅう不満を抱き、不安を覚え、
恥ずかしいと思い、摂食障害などの機能障害に陥る子供も多い。

(キレイならいいのか デボラLロード 亜紀書房










■やせたがりが女性に多い理由

男性の場合、外見が美しくなくても有能であれば
「あの人は見た目はいまいちだけど仕事ができる」とポジティブな印象。
いくらイケメンでも「格好ばかりではからっぽ」というネガティブな評価。

実際に普段はファッショナブルな男子学生が
就職面接の時にはわざとファッションセンスがなさそうな姿に「変装」する、などという話も耳にします。



「ファッションにかまけている」と見られることで
能力を疑われるのが嫌なのでしょう。



一方、女性の場合には
いくら有能であっても外見が美しくないと
「仕事はできるけど…外見がね…」という評価になることが多い。
また、外見が美しくて能力が低い場合は「それでもきれいだから許せる」
というプラス寄りの評価になるものです。





また、男性の場合、外見の評価も多用だと思います。


比較的高く評価されるのは鍛えられた身体だということでしょう。
つまり、脂肪質でなければ、マッチョ系から細身まで、
広く「かっこよいスタイル」として受け入れられている。




一方、女性は仕事がどれだけできても、
常に「美しいかどうか?」という評価が付いてまわる。


もちろん、プロフェッショナルな職場で外見の評価が仕事の邪魔になることは殆どありませんが、それでも常に「女性としての魅力は美しさ」で決まる。

なぜ、女性は外見がこれほど重視されるのでしょうか。




まず考えられるのは、女性の「従属する性」としての歴史です。




■「選ばれる性」は外見にとらわれる



自分が選ばれるかどうか?という場合に外見は重要です。
美しければ、目を留めてもらえる可能性が高まりますし、
選ばれる際に有利になります。
歴史的に、男性にも「美しい女性と結婚できること=男性としての力がある」という
価値観があって、パートナーとしてよりも「装飾品」のように
外見の美しい女性を選ぶ傾向にあります。

このような選ばれる性としての歴史が
女性の外見偏重とは無関係だと言えません。








男性中心の社会では男性は自分自身が社会的地位を持っていますが
女性は「どの男性と関わるか」にとって社会的に位置づけられてきました。

より簡単に言えば、結婚相手によって女性の地位が決まってきたということです。


夫の肩書きがそのまま自分の地位を決めます。
それは「夫人」という呼称にも現れています。

つまり、女性の社会生活を考えてみると
社会の中で何ができるか、ということよりも
「どの男性に選ばれるか」が重要だった。

(ダイエット依存症 水島広子 講談社





















自信を与えてくれるものの男女差









社会的プレッシャーとして女性は外見が求められる。(愛嬌を外見とするかは微妙だが)



イケメン、美女が求められるのは当然なんだけど、ぶっちゃけ、男は外見のマズさを補える要素を持っている。
ブチャイクなIT社長が美女を連れて歩いているのなんて、まさにそう。

男は社会的な地位とか金があれば、外見を補って有り余る。


しかしながら、女性は悲しいけれど、外見を補う要素などと言うものはない。

むしろ外見の伴わない秀才は「頭はいいけど、容姿がねぇ…」という評価を強化するかもしれない。

女性の社会的な資源というのは外見なんだよね。
だから、バカで頭の悪い同級生がブサイクな男を掴まえてさっさと結婚して子どもを持って家庭を作っている姿を見て「私の努力って一体…」って泣きを見た高学歴独女がどれだけいることか。








男が男にとっての社会的な資源、つまりお金を稼げなくなってきた頃とほぼ同時に男性伸び用品の売り上げが上がっている。




モーレツサラリーマンの男性と専業主婦のモデルが崩壊して男性にも派遣社員が広がるのと当時くらいの時期に男性の化粧品とかスキンケア商品の売り上げが伸びているはず。
これは、社会的な資本を外面で補おうとしていると思われる。



一方、女性は男性からの(少なくとも女としての)評価は社会的な地位では上下しない。むしろ男性より偉くなると仇になる。
結婚するならお金を稼ぐ女性として素価値を認めてもらえるかもしれないが、それはお金に価値があるだけであって女としての価値は上がらないかもしれない。




男性がお金を稼ぐと言う能力で認められる機会が減少したのであれば、外見で認めてもらおうという風潮が高まるのは自然なことだろう。
おそらく、外面を気にして化粧水なんかを付け出す男性が増えるのは摂食障害は女性だけのものではない時代の到来を予感させる。



ただ、一方で、女性の給与水準が上がろうとも、容姿へのこだわりはお金の獲得では補われないだろう。
















■成功感と達成感


・痩せている時は活き活きしている反面、人を見下したような少し嫌な人間になる。

・私はブスで学歴も無いのでせめて痩せることで人の優位にたちたい






「痩せること」「痩せていること」は自尊感情に直結している。
社会・文化や他者の中で自己を位置づけるために有効、かつ、確実な手段。
さらには、自己価値観を取り戻すために用いられている。



摂食の異常をはじめとする様々な症状それ自体が患者なりのアイデンティティの形成。





ストレス状況に直面したときに痩身に向けて努力することでアイデンティティの確保を目指す。
摂食障害アイデンティティを獲得する確実な方法として痩身を選択することなのだ。
痩せるということがそれだけで価値があるということ、すなわち「痩せている」ことが存在価値に繋がるほど
現代の社会は女性の身体的外見(痩身)に価値を置いているからであれう。

(社会病理としての摂食障害 牧野有可里 風間書房



















心理学の側面だけで摂食障害は語れるか





摂食障害とダイエット依存症の境目




無謀な食事パターンと、臨床的に定義される摂食障害との間には大きな違いがある。


私の調査に参加してくれた大学生たちは、拒食症と過食症に伴う多くの行動上の症状を見せていた。
痩せようという文化的命令に従うために、
彼女たちはカロリー制限をしたり、長期にわたってダイエットをし、大食と嘔吐を繰り返し、利尿剤や下剤などに頼っていた。

なかには体重をコントロールするために極端なエクササイズを行い、
「生きている」という感じを得るために、厳しい運動スケジュールに過度に依存するようになっていった。

しかし彼女たちは、普通、摂食障害に伴う心理的な特徴、たとえば
成熟への恐怖、対人関係不信、完全主義といった症状の全てを示しているわけではなかった。
彼女たちの行動は、拒食症や過食症と似ていたが、
それに伴う様々な心理学的な問題を抱えているわけではなかった。


このようなパターンを「準臨床型摂食障害」あるいは「体重への執着」などと呼んでいる研究者もいる。





私はこれを”文化的に引き起こされた”摂食行動と呼んでいるが、つまりは
摂食以外の点では心理的に「正常な」女性たちに見られる摂食障害のパターンである。

無謀な摂食と食べ物への強迫的なこだわりは、
体重と身体イメージの問題に対処するために広く受け入れられている方法なのである。


それは、スリム教の信者である女性たちにとっては、規範的行動なのである。


しかし、このような戦略は予期せぬ結果をもたらすことがある。


厳しい食物制限は長い間にはコントロールのきかない大食いの引き金となるかもしれない。
ダイエットをしている人は、大食いをすると、
次には吐きださなければならないと感じる。
ダイエットによって、身体の自然な代謝作用をいじってしまった女性たちは、
前よりも少ないカロリーで体重が増えることに気づくかもしれない。

過度なエクササイズは怪我や心身疲労、あるいは月経停止をもらしうる。

これらすべてによって、ますます体重のことが頭から離れなくなり、
ますます身体イメージを過剰に気にするようになる。
こういう行動は、うつや、心身症を伴った長期にわたる摂食障害につながることがある。



痩せたことのご褒美は
社会的に受け入れられること、
つまり、「新しい姿、新しいあなた」になることであり、
「今までよりも細くスッキリした自分」に、今までより良い気分いなれることである。

しかし、自尊心をあまりにも密接に体重と肉体的な容貌と結びつけているので、
この態度はまた、
心理的ダメージの大きい体重増加と自己嫌悪の悪循環に入り込んでしまう下地ともなりかねない。




文化の規定する身体モデルを信じている女性たちは、
摂食障害症を進行させる危険性が高い。

もしも、女子大学生たちの間に広がっている、
ほとんど流行とも言える現在の摂食障害の増加を説明するのに、
伝統的な心理学のみに頼るなら、
そのような症状を生み出す基盤になっている心理的、情緒的な特徴が増加しているだろうと予想しなければならない。







この本では摂食障害を医学的、精神的な病気として扱うのではなく
スリムな体を過度に理想化し、それを実現しようとする価値観によってもたらされたものと
考えています。
この考え方は社会科学系の専門家の間では以前から知られていた。



(誰が摂食障害を作るのか 女性の身体イメージとからだビジネス シャーリン・ヘス=バイバー著 宇田川拓雄 新曜社















■脳の混乱を「心の病」と銘打たれて路頭に迷われる…



異常な食べたい衝動。

本当になんかに取り付かれたようで、自分ではない何かが自分の中にいるようでした。



過食衝動は何か自分の考え方が悪いのだ(意思が弱くて抑えられないのだ)と
思っていましたが、今考えてみると、あれは意志の力でどうにか出来るものではありませんでした。


本来食欲は意思の力で支配するものではありませんよね。


それをたまたま意思の力で抑えられていた時期(拒食)があると、
その後に無理やり抑えられていた食欲中枢神経が逆方向に暴走してしまい、
意思に反して(それどころか実際、身体に必要な分以上に)食欲の止まらなくなってしまう時期が
やってきてしまうのではないか。
それは意思が弱いからではなく、当然やってくるものなのではないかと思います。









■痩せたい気持ちはどこから来るのか


痩せたいことに深い意味は無い。
ダイエットは、特に若い女子の間では特別なことではない。
それは現代に限ったことではない。

年齢や性別、生活環境を問わず、
現代社会にはダイエットを始めるきっかけはあふれかえっている。だから時に
気軽に、深い意味も無く、ダイエットが始められたりする





回復者たちからは
ダイエットをする前から強烈な痩せ願望があったということは語られなかった。
それでは、摂食障害という状態に至るまでのどの段階で
人々は過度な痩せ願望にとらわれていくのだろうか




■ダイエット行動の悪循環


ずっと減り続けると思ってるからでしょう。
それが思い通りに行かなくて、自分がだめだと思っちゃう。
自分の努力が足りないからまだ減らせないんだ、みたいな。
心がけが悪いから。心がけって言うと変だけど…。
全部自分の精神力でコントロールできると思ってたから、
減らすんだったらがんがん減らせると思ってたから。
それでも増えちゃうってのはなんか努力が足りないんだって思って。
体重イコール自分の精神力、みたいな。




体重は自分の精神力でコントロールできるものだと思っていた。
だから、思い通りに痩せられない場合に
自分がだめだ、という自責感が生まれる。

過食や嘔吐をしている時期は
自分に対して「自信がない、最低、意志が弱い」などの状態が現れる。




それはどういうことを示すのか。


ダイエットが成功している期間は
体重は意志の力でコントロールできる対象であった。
けれども、思い通りに食欲をコントロールできるのは一時だけで、
次第に痩せにくくなり、過食衝動に教われるようにもなる
しかし、相変わらず、体重は意志の力でコントロールできるものだと思い続ける。
その結果として、痩せられないことや過食衝動は
体の自然な反応としてではなく、
自分の意志の弱さとして受け止められていく。

ダイエットをしては過食をしてしまう日々とは
いわば挫折しつづける日々であり、
過食のたびに自責感を募らせ続ければ
「自信が無い、最低、意志が弱い」と自己否定的になっていくことは想像できる。




過食と嘔吐ばかりしている自分はだめだと思うからこそ
なおさら痩せたい気持ちが強まっていく。
けれども、自分はだめだという思いは
まさにやせようとするところから生まれているのだ。

こうして「自分はだめ」だという思いは、
一巡して、痩せ願望やコントロール志向のさらなる強化へと循環的につながっていく。


過食症者が持つ自信のなさや自分はだめだという思いは、
身体の変化(ダイエット初期の痩せやすい身体から、痩せにくい身体への変化)に、
認識(身体は意思の力でコントロールできるという考え)が対応していないことから
生まれていると考えることができそうだ
そして、一回成功した体験があるから
本当に頑張ればなんとかなるんじゃないかと、
次の成功を目指して痩せた体に戻るための朝鮮が続けられていく。
こうして、嘔吐や絶食や大えとは続けられていく。
それに伴い、過食もまた続いていくのだ。



摂食障害になる前の生活暦がどのようなものであれ、
ダイエットが成功して体重をコントロール可能なものと思い込み、
同時に、痩せていない自分を否定するようになれば、
過食する自分、痩せていない自分への否定状態が続き、
結果的には低い自尊心/自己評価が産出されることになる。
そしてそれはダイエット行動を長期化させていく契機もはらんでいる。



摂食障害の特徴とされてきた
「強い痩せ願望、自己コントロール欲求」と同様に
「低い自己評価」はダイエット行動を継続するか過程で次第に強められていくことを指摘してきた。


自尊氏が低いことは、確かに摂食障害の重要な危険因子には間違いない。
しかし、自己価値観の低い人の大半は摂食障害に陥ったことが無いし
今後も陥ることは無い。
もっとも、少なくとも発症時点では摂食障害患者の自己価値観は低くなっていて、
自尊心の低さが病因に関連しているのは間違いなさそうだが、発症に関連しているのか、
病気の遷延化に関与しているのかはハッキリしない。






摂食障害の語り 〈回復〉の臨床社会学 中村英代 新曜社












































ダイエット願望すら両親のせいにしていた。
しかし、責任転嫁も甚だしい。
周りを見渡せば、何に付けても「痩せろ痩せろ」という風潮が蔓延している。



ダイエット願望の原因は明らかだ。
摂食障害になったのはある意味で社会の被害者であるとも言える。



しかしながら「社会の問題」として捉えることで注意したいのは
「私は何も悪くないのに、世の中の風潮のせいで病気になってしまった」と発症者が思うのは
危険だと思っている。世の中がどうであるか、ということと、
自分の今の症状を治すこととは、話が別なんだよ






摂食障害の語り 〈回復〉の臨床社会学 中村英代 新曜社