自分を表現する方法が精神疾患じゃなくなれば良い
精神科の先生との付き合いというかカウンセリング?の大切さは、いまいち実感は出来ていないのだが、分かって欲しい願望が強い患者、
つまり自他の境界線が曖昧・強烈な見捨てられ不安という境界性パーソナリティ傾向を持つ患者にとってカウンセリングは生命を保っていく上で重要な位置づけになるらしい。
自分の心で抱えきれなくなった感情を
受け止めてくれたり丁寧に拾い集めてくれたりしてくれる相手が
BPD患者にとっては極めて貴重な存在なのだ。
「患者に好きとか嫌いとかっていう感情は無い、と言われたとき、
1人の人間として付き合ってはくれないのか、
と悲しくなる反面、嫌われるかもしれない、と
心配し過ぎなくてもいいのか、とちょっとホッとしたり」
という語りが示すの
はBPDの大きな特徴なのだろうと推測される。
ただ、
「言葉を言語として相手にぶつける」っていうのが苦手って言うのは
精神疾患者に共通しているのかもって思った。
言いたいこと、伝えたいことを忘れないために書き留めるのではなく、
言葉にするのが怖かったり、うまく伝えられない自分を感じてしまうのを避けたかったり、っていう言葉として発することを回避するために文章を使う。
言葉の使い方の不器用さが共通項であるのは間違いないと思った。
言葉じゃなくても、絵画とか音楽でも何でもいいんだけど
自分の思いをきちんと表現できること、
”表現という武器”を手に入れることが
精神疾患から離れるためには重要な要素なのかもしれない。
間違った自己主張方法を用いなくても
「しっかり自分を伝えていける、伝わっている。」
こういう安心感が心を溶かしていくのだと思った。
以下、BPD傾向のある女性の語りである。
>>
そして外来がやっと主治医と連絡がとれたのが2時半過ぎ。
何とか診察はしてもらえることに。
そして診察。
あることが原因で先週休んだ理由を、
言いたいこと思ったことを紙に書いていったら
[だからこういうことはちゃんと診察にきて言わなきゃダメでしょ!]と怒られ、嫌われたんじゃないか不安だと書いたところに関しては、
「私たちは好き嫌いとかの表面的な付き合いではなくて、病気を治していくために通院しているし、手伝うのが私の務めであなたは治りたいならきちんと来なさい!と」怒られました。
紙に書いていったことは、
「きちんと診察にきて直接伝えないと!そのための場所であるでしょ!」とまたまた怒られ…。
「悪い方向へ考えすぎです。そういう考え方は他の場面でも自分が苦しくなるだけだからこういうことはカウンセリングで話をしていって。そのためのカウンセリングだから。」
と結構怒られてしまいました。
私は口ではうまく伝えられないから紙に書いていったのになぁ〜。
でも、主治医と患者の関係は好き嫌いではないと言われて、
特別扱いしてくれないのか、1人の人間として付き合ってはくれないのか、と悲しくなる反面、嫌われるかもしれない、と
心配し過ぎなくてもいいのか、とちょっとホッとしたり。
>>