拝啓 零



同じ病気を持った人と病気について話してみたい。




どちらかが回復に向かって前向きに取り組んでいる段階ならば、
相手の役に立ちたい少しでも助けてあげたい。



そんな気持ちが患者同士で芽生えたとしても、
不思議はないのではないだろうか。









この手紙は、僕がある女性に送ったメールです。







僕が通院していた病院では、
ヒキコモリの人ならヒキコモリの人たちだけで集まった話し合いみたいなものがありました。(パティオって呼ばれてました)






摂食障害の話し合いも存在はしていましたが、
男性である僕は、その会に参加することは許されませんでした。
(院内NABAとでも言うのかな)










本当は、出てみたかった。
性別は違うけれど、同じような悩みを持っているはずの人たちと話してみたかった。









書籍を読んでもインターネットを閲覧しても、やっぱり女性に向けられた記事が殆どだったから、男性の僕が罹患することは何かの間違いンじゃないかって、ある種の疎外感を感じていた。




あるときは、本気でGIDなのではないかと思ったほどだ。









そんな風に思っていた折に、
たまたまその病院で知り合ったHさんと話す機会があった。





Hさんはうつ病で通院していたが、かなり回復に向かっているようであり、雰囲気もやわらかくて話しやすかった。






で、そのHさんの友達に摂食で悩んでいる女性がいるんだけど、親の理解とかがないらしくて悪化してるっぽくて、ちょっと心配なんだよね、という話を聴いた。












名前はSさん。




これはチャンス?と思いHさんにSさんに僕がメールを送ることができないかどうか聞いてもらえないだろうか、ともちかけたところ、優しくOKと言ってくれてHさんのおかげでSさんのメアドを聞くことが出来た。






やった、これで同じ症状の人と話せるんだ!って思った。





それでも結局、最初の1週間くらいは、やりとりが続いただけで
その後は連絡は途絶えてしまった。




彼女の心の闇を照らしてあげることができなかったし、自分という人間のメール術?の魅力がなかったことが原因だと思います。





それでも僕は、彼女と話しをして可能であれば支えてあげたかった。


だって、自分は誰も助けを求める相手がいなかった。
だから、助けを求められる相手がその時に居てくれたら、どんなに嬉しかっただろうって思うから。





だから、そういう存在になりたかった。







僕が摂食8年目で彼女は3年くらい苦しんでいると言っていた。
自分より長く苦しんでいる人がいたとしたら
僕だったら話を聴いてみたいって思うから。




けれど、それはあくまで僕だけの勝手な思いだったようで
彼女には負担だったのかもしれない。




そして、下記がメールが来なくなってからしばらくたって
僕が彼女に最後だと思って送ったメールです。



このメールの返信には、
迷惑とかじゃないですけど、今ちょっと余裕がないので余裕が出来たらメールします、と書かれていたが、もう二度とメッセージが送られてくることは無かった。




同じ症状の人と話して気持ちを共有したいという思いは
間違っていたのか、とも思うのだが恐らく
この先も摂食障害を抱える人の力に少しでもなりたいという気持ちは
持ち続けていくでしょう。




自分が苦しんだ経験をムダにしたくないという、
超エゴで身勝手な思いから
。。。








>>






こんにちは。最近は、ポカポカしるけれど夜はまだ寒いですね。
体調はいかがですか??





今日は非常に勝手なメールを送ろうと思います。病気について真剣に考えて、僕が感じたことです。「何それ?ウザいんですけど!」と思ったら、ここで削除してくださいね。


自己満足というか、Sさんには分かって欲しいし分かってあげたいとの思いから無視されるだろうなと思いつつ送ります。
本当にごめんなさい。





少し長くなりますが、苦悩の結晶です。。。











○短所・破壊神としての摂食障害


歯、時間、知人友人、信頼、お金、キャリア、誰かとの楽しい時間、キラキラするはずだった大学生活、など人生の終わりと始まりの全てを奪われてしまいました。




そして、さらにコントロールを失った自分と向き合うことの恐怖を味わう、常軌を逸した行動をしている自分のミジメさを感じる。
分かって欲しい人にほど、伝えるのをためらってしまって行き場のない感情を持ち続けること。












○長所・守り人としての摂食障害


自傷行為としての感情浄化のための摂食障害 


リストカットをする人が、切ると気持ちがすっとして生きている感じが する、だから止められない、というように、過食嘔吐によって、
モヤモヤした気持ちを処分することができたから、今日まで生きているし、摂食障害によって生きている実感を得ると言う助けを得ている。







・自分に不満を持つ感情にフタをしてくれていた。 

「対人関係の不全さ、というこの先、生きていけば必ずぶつかったであろう問題に症状として身体と心に無理がかかっていますよ、もっと自分を大事にしないとつぶれちゃいますよ」
という事を教えようとして現れてくれたから、自分のコミュニケーションについて見直す事ができる。





・寂しいとき虚しいとき、いつも逃げ込める場所。




何も考えないようにする自分を暖かくいつも受け容れてくれた。
この場所がなかったら、アルコール依存とか人を殺すとか、
あるいは、感情の行き場がなくなって、どうしようもなくて自分を殺していたかもしれない。












僕はSさんが苦しんでると聴いて、
病院で知り合ったHさんからアドレスを聴きました。


助けてあげたいなって思いました。



けれど本当は、
ただ自分が助けている人というポジションが欲しかっただけだったんだと思います。押し付けて本当に申し訳ありませんでした。

(投影同一化の対象にしたかっただけで、本当は自分を助けたかっただけ)


















僕が二十歳だった頃、病気になって3年目くらいの時、本気で自殺未遂を一度しました。


処方してもらった睡眠薬を貯めて一気に飲んだだけだったので結局、単に救急車で運ばれて戻ってきただけでした。



けれど、あの時の気持ちは、本当に絶望としか言いようがないし、病気に支配されて一生、逃れられないって思いました。もう、いいじゃん。


頑張ってここまで耐えたんだから。
そんなこともありました。




頭の中を、食べるか食べないか、という思考で支配される24時間は、耐え難いと言うか生きているのが本当に嫌になります。





そんな風な状態のときに、同じ症状を持つ人が現れてくれたら、僕だったらどれだけ救われたのだろう、そんな人がいたらよかったなぁ、という自分の思いがあったので、僕がそういう人になれたらいいなって思いました。そうなりたかったです。






けれど、そんなことをSさんに押し付けるような事をしてしまいました。本当にごめんなさい。病気を利用しようとした僕は、ただのバカヤロウでした。