依存、という迂回路




無痛文明という考え方があるらしい。
ダメージを負わないで、最大限の効果を期待する傾向・社会を指すそうだ。











人間との摩擦を避けて生きたい、けど寂しい。
一人は嫌だけど孤独を感じるのは耐えられない。


けど人と関わると何かと面倒。


だから、メールで何でも済ませようとする。






まさに、現代社会の縮図だ。












痛みのほかにも
我慢が出来ない社会でもある。



モンモンとした未解決な問題と気持ちを
自分の内部に抱えておく、という痛みに
絶えられずに、短絡的に相手に気持ちをぶつけたり
尊重できない人間関係を持ったりしてしまう。












問題を解決するよりも、
気持ちがスッキリすることを優先していて、
問題の本質は何も解決する方向に進まない。












痛みを回避しつつ成果を得たい、という
精神的未熟を抱えた人が増えている背景にあるのは
現実と向き合えない人が圧倒的に増えているって事だ。






























現実に問題は解決できない、
けれど問題は容赦なく心身を痛みつけてくる。









だからこそ、
ちょっと困難にぶつかると
中毒とか依存症という寄り道をして
辛さと忘れたり、ゴールをした夢を見たりして、
自尊感情を保とうとする。







自己肯定感や感情がスッキリすることが優先で、
現実の問題は何も解決に向かっていない。






だけど、成果は欲しい。






だから、何か自分を変えてくれような
あるいは、変化できない自分を忘れさせてくれるような場所に
依存していくようになる。



































例えば、ダイエットであれば
本当は人間的な魅力が総合的に低いから
認められていないのに、
「痩せれば認めてもらえるはず」って痩せることで何かを解決しようとする。











体型に関係なく魅力的で愛されている人は山ほどいる。
痩せていることでは何も解決しないけれど、
痩せれば全てがクリアできるような気がして、信じて疑わずに
ダイエット依存になっていく。












だけど、そう簡単に望みどおりに痩せることはできない。
せいぜい3kgくらいなものだ。












けど、痩せれば全てうまく行く。
痩せないとうまくいかない…って












痩せるためには
運動をしたり、食欲に耐えて打ち克たなければならない場面が多々ある。





けど、そういう「我慢、痛み」は味わいたくないし、耐えられない。
だけど、痩せたい。






じゃあ、食べても吐けたらいいんじゃないの?という
短絡的な思考が働いてしまう。





















薬を飲むだけで痩せられるなら…って摂食障害とか麻薬とか
楽なほうへ楽なほうへ、苦労とか我慢無しに、
痛み無く早く願いを叶えたい。




自分の努力なくして短期で効率よく、
望んだ形を手に入れたい。




望みが叶わない、という状態を早く解消したい。















そうして何が起こってくるかといと
嘔吐して、利尿剤使って、下剤を使って
「食欲を我慢する」という”痛み”を回避しつつ痩せられればラッキー!
ってことになる。



















これが、拒食症が減って過食嘔吐が増加しているという
摂食障害の傾向の背景にあるものだろう。













我慢したくない。けど成果は得たい。
でも、できない。じゃあ自分の努力以外の場所に頼って、
自分をそこまで連れて行ってもらおうって思考になる。




















ここで最も問題なのは
自分と現実との折り合いがついていないことだろう






自分の力と社会での通用具合を客観視できずに
白昼夢の中で叶わない妄想に落胆して、心を傷つけているのだ。











「あきらめない」ことによって要求される努力や苦悩を棚上げにして、
薬物の助けを借りるのがドーピングである。
しかも、依存症という重い代償を伴って。






















代償を払ってでも、今を輝かせたい。
今に全く満足できない。


満たされない不満を抱えた人たちが溢れかえっているのだろう。








ただ、お手軽に幸せになれるほど、人生は単純なのだろうか。










痛みの伴わない前進はないし、
幸せになりたいけど痛みを避けているっていうのは
結局、幸せを避けて生きていることになる。




幸せの中に痛みは内包されているのだから、
痛みだけ避けることは出来ない。
避けられるとしたら幸せ事態を諦める事とイコールだ。












現実と自分との折り合いが付かない、
自分の限界を認めたくないっていう間違った方向にアガいていくと摂食障害に関わらず”他人頼みの自己実現”を望む人が多くなり
依存症者は確実に増えていくだろう。


自分でどうにもならないことは他者のせい。
あるいは、依存物にどうにかしてもらおうっていう考えに偏っていくのでは。







それは、薬物とかアルコールじゃなくて
やっぱり食べ物という日常的なものに対してが多いだろう。



バレにくい、というプライドを守る効果もあるから。







ここから先、
摂食障害者は男性を中心に爆発的に増えていくだろう。





もう、痩せたいとかスリムじゃないと評価されないとか
っていう体型の問題じゃなくて、
摂食障害は「満たされない心の叫び」なんだって認識していかないと
いけないのかもしれない。






男とか女とか関係なく、
生活の身近にあるモノに、拒まないモノに
救いを求め
ていくようになるのは
ごく自然なことだと思う。







人との関わり、弱さを見せたら突け込まれる恐怖に溢れている時代だからこそ、簡単で身近に溢れている食事・食材に満足感と救いを求めていくのだろう。