戻り行く感覚



摂食障害との闘いが軌道に乗って来ている気がする。
もしかしたら気のせいで
本質的な部分は未着手なのかもしれないが
とりあえず、外食が出来るようになったのだけでも
ちょっと世界が広がった。


少なくとも、ドリンクバーだけで吐かなくて済むようにはなった。








進歩、のはず。











自分の抱えていた問題を発見して、それを少しずつ消化できてるなぁ
という時期になると、
いままでになかった感覚が戻ってくることがありました。







それは摂食障害になるまえは
当たり前に感じていたことなのかもしれませんが
摂食障害によって、忘れ去られていた体の機能が戻ってくるような
体験がありました。























例えば、涙。






今までは感動する本や映画に出会って、涙が目に溜まることはあっても
流れることはなかった。


それが最近では涙が流れるようになった。






せいぜい胸がツーンとする程度で
マブタの内側の温度が上がるような経験は久しくなかった。

















時を同じくして、夜の月がキレいだなぁと思ったり
葉っぱのこすれる音が心地よいなぁと感じたり
なんていうか、今まで視界には入っていたけれど
感じることができなかった自然の動きを
受け取れるようになっている自分がいる。







抑えていた感情は、どこか一つでも風穴があいてしまうと
全ての感情を素直に受け取れるようになるらしい。











マイナス感情を抑えているとポジティブで楽しいはずの感情までも
感じないようになってしまう。






ひとつの為に全てが感じないようになる。
感情を抑えることをやめたいと思うときには
何か一つの感情が全てを取り戻させてくれる。




不思議なものだ。


















また、食べたい!美味しそう!!という
食欲がハッキリと戻ってきたと感じた時期とも
重なっている。











焼き鳥屋さんが焼き鳥を焼いている香りに鼻腔をくすぐられ
心から食べたいなぁおいしそうな香りだなぁとスーパーの駐車場で思えるまでに随分と時間必要だった。







人が自然に持っているはずの感覚を
失くして取り戻すのには、本当に時間がかかってしまうのだ。








何かを心から食べたいと思えた感覚は、
忘れ去っていた感覚だったし
もう二度と思い出せない感覚なのだと
あきらめていた節だってあった。



コンビニのFFの香りは油で吐きそうなくらい
気持ち悪くなった時だってある。








これはもちろん、身体に染み付いてしまった食べ物への抵抗をなくすために訓練の賜物ではあるのだけれど、それ以上に、
「これを食べたい!」という感覚を持つ事を
自分自身で自然に許せたということの方が
よっぽど嬉しくて前進を感じることであった。













感情を持つ自分を許すということは
自分自身を肯定し認めはじめた自分がいるということだから。
だって本来、食欲というのは人間として当たり前に持つ感情だから。
その当たり前という感情をも自分が持つ事を拒否していた、
それはつまり、生きることを拒否していたといことだ。



それを、やっと認められた、
世界の色が変わる瞬間でもあった。














感情を味わうには
自分が感情を停止させていることに気付くこと、
そして感情を停止させなければ生きてこれなった自分の過去を
愛してあげる。





自分の現状と過去をしっかりと受け止められたとき、
人の感情は再び動き出すのかもしれない。