過食症は絶対に増える!! その① 〜摂食障害としての過食症〜



豊かで便利なのに
生きづらさを感じる人たちが多いこの時代。


過食症という食べ物依存症
爆発的に増えていくと思う。






なぜなら、
自尊心を保ったり人間関係の温かさを得られにくくなった現代に
心の拠り所として”食べ物”という依存先を選ぶ人々が多くなっていくと予想するからだ。















食べ物は逃げも否定もしない
干渉してくることもないし、求めればそこにいてくれる。
こちらの都合でコントロールできる存在だ。



おまけに心の安定剤になってくれる。




ツラい時には寄り添ってくれるけど
励ましも慰めもしない。だけど、そばに居て癒してくれる。





しかも、食べ物を購入して食べても、
誰も怒らないし怪しまれない。













こんなに安心感を与えてくれるモノが、他にあるだろうか。









殺伐としたストレス社会やよそよそしい人間関係の中で
こんなにも快楽と娯楽を兼ね備えた”健全な依存”は
他には考えられない。




だから、増えていくと予測できるのだ。























食べ過ぎという自覚があって
胃が痛いし苦しい感じがする。
それでも食べるのを止められない。


食べるというよりは詰め込んでいる
感じ。



大食いとは違う。
一心不乱に周りの世界から遮断されて食べ物をただただ詰め込んでいく感じ。












これは経験者にしかわからない。


何かに取り憑かれたように
口に食べ物を運ばないときがすまない感覚は
空恐ろしくもあり、何とも言えず満たされていく感覚でもあるのだ。





満腹中枢が働くのは
食べ初めてから20分はかかる
とか、そういう理性的なことはわかっていても
そんな簡単な事じゃない。






ただ、食べ過ぎた後には
猛烈な後悔と罪悪感
に襲われる。


人間として間違った事をしている自分に対する嫌悪感と抑うつ感で
死にたくなる。


もう二度とやるまいと忠誠するのだが、
止められるわけも無く、過食にハマっていく。



「やめたくても、やめられない」まさに、食べ物依存症と言って間違いない症状なのだと思う。












我慢しようという考えをもたらすのが理性。
理性をもたらすのは脳内の大脳皮質といわれます。



「食べたい」という本能を抑えようとするのは理性です。





食べるという快感に対して大脳皮質の理性が
「ちょっと待って!世の中にはもっと楽しい事があるよ!」と説得できればいいのだが、普通の人生は食べるよりもストレスを発散させる楽しい事がそんなにあるわけではない



過食は身体に悪いと知識では分かっていながらも
結局は本能を抑制する事ができない。

















過食に関して気づいたのは
過食症には二つの意味ってこと。


食べ過ぎちゃうってのは
二つの意味があるのではないかって気づいた。






一つは摂食障害の本来的な症状としての過食症



心の空洞、心の満たされない具合を
食べ物で埋めてしまおうとする
心の枯渇から、食べ物を詰め込む。


この本来的な意味での精神疾患としての過食症
心の空洞を満たすために食べ続ける。











もう一つの過食は
脳が特定の食べ物に含まれる麻薬にやられてしまっているパターンの
過食症だ。





ある特定の食べ物に含まれる物質の中毒に陥っていて
その食べ物を食べずにはいられない状態。


食べ物に含まれる麻薬的な物質のトリコになって
食べる事に支配されてしまうし
一度食べ始めたら自分で止められない。


食べ物のワナにはまってしまい、
食べ物を求めずにはいられない状態を生み出すケースも考えられる。

















本来的な摂食障害としての過食症
嘔吐したり下剤を乱用したりし始める可能性があり、
これは体重体型へのこだわりが見られ、
太る事への強烈な嫌悪感を孕んでいる。


食べても心が満たされるのは一瞬で
いつまでも空虚感は消えないから
食べる事に生活が支配されてしまって
学校や仕事という社会に適応できていない事が多い。






一方、食べ物の物質に中毒にされてしまう方では
心は満たされている。
やりたい事目標があり、友達にも恵まれている。



だけれど、食べ物に洗脳されてしまっている状態であり、
太る事へ嫌悪感は人並みにはあるとしても
吐いたり下剤を使おうとは思うことは少ない。


しかも、日常生活をしっかりと送れている事が多い。









つまり心の飢餓感からの過食症じゃなくて
食べ物からの強烈な誘惑に勝てない状態。











ただ実は
この2つの過食症は密接に絡み合っていて
互いに影響しあって相乗効果を発揮してしまうことも考えられる。



心の空洞を埋める為に過食症に陥った場合、
食べ物の麻薬にハマってしまう食べ物を大量に食べることで
さらに食べ物への渇望感が増してしまう
こともあるからだ。









逆のパターンとして
麻薬的な食べ物が止まらない自分に嫌悪感を覚えて
本来的な過食症に陥ってしまう事も考えられる。
あるいは、低血糖症になってしまい、気分が落ち込んでしまい
心にまで空虚感を感じるようになってしまうかもしれない。





食べたい(詰め込みたい)欲求が強い人が選ぶのは大抵、甘い物だったりしょっぱいものだったりっていう麻薬物質が多く含まれている食べ物ばっかりだ。


これらの食べ物は間違いなく低血糖症をもたらし
食べ物のワナから心の空洞感をうみやすいのが難点だ。


しかも、依存性があるから、
食べるのをそう簡単には止められない。





こういった理由から
”入り口”の違いはあったとしても
2つの過食症は互いに影響しあって
さらに強力な症状を生み出してしまうこともあるのだ。








特定の食べ物に含まれる物質の中毒から始まる
過食症については、こちらに置いておくとして、ここでは本質的な過食、摂食障害の意味での過食症が増加する背景を綴っていきたいと思う。













ちなみに
野生の動物は肥満しないのに、なぜ人間は肥満するのか?
という問いは重要だ。



偏食や食べ方の違いという人為的な要因を除くと、
その答えは、人間は空腹感がなくても食べる。




飢餓に耐えながら生きてきた歴史が長い人類は
食べれるときに食べておくという本能を持ているのだ。






また、感情(特に不満な心の状態)が、空腹感のともなわない食欲に転化して摂食行動が起きることが大いにあり得る。





たとえば、自分の考えや感情を出しにくい家庭、家庭の問題を相談しにくい家庭で育ってしまうと、子どもは両親や家族に対する怒りや憤りを押させる方法として「食べる」ことを使ってしまう傾向が強いだろう。























過食症が増える時代背景にあるのは
「自尊心」と「人間関係の希薄さ」がキーワードになると思う。












本来的な意味での過食症
心の満たされなさを抱える人の増加と比例するいくと思う。




そして、まじめに生きていても
満足感を得られにくい世界が現代日本には広がっている。








やりたくもない仕事を
ロボットのように自分らしさを捨てて効率的にする事を求められる。
仕事をやり遂げた!という感覚は薄れ、「何とかミスせず間に合った」という徒労感だけが残る。



ミスなく減点方式での評価が定着すると
褒められる事、認められる事がなくなる。


なぜなら
ミスをしないのが当たり前になるから。






そして、自分の仕事や仕事をやれた自分を
人との関係の中でなかなか認めてもらえなくて
自分は認めてもらえた!っていう自分に対するポジティブな反応、つまりドーパミンが分泌される機会が少ない。





そうした日常の中で快感を味わえなくなると、
日常の中で自分を満たそうとする。





だけど、スポーツをしたり気の置けない友達との食事を楽しむ時間すらままならない。


そうしたときに日常ですぐに手に入る
アルコールとか食べ物にお手軽に手を伸ばして快楽を得ようとする






アルコールも食事も、気分をやわらげてくれるって言うのは
誰もが知っているし、疲れて居る時や心が空しいときには
飲む量が増えたり胃が痛くても食べたりしてしまうようなときもあるだろう。




ただ、若者を中心にアルコール離れがすすんでいるという。
そうなると、癒してもらえる対象は食べ物しかないだろう。













こうした不安定で満たされない生活の中で
自分の将来、生き甲斐、目標を失ってしまっている。





人間性を失わせる労働環境、
その労働によって人間関係までもうまく行かなくなる。


すると、自分の存在がアヤフヤになって存在価値が分からなくなる。





自尊心が下がるった状態になってしまうと、
脳内のセロトニンドーパミンが分泌されない。


幸福感や落ち着き、快感が一定量保たれずに陥ってしまう最たるものが
うつ病だ。








自尊心が下がり脳内の快感物質のセロトニンドーパミン
分泌されないのは人間の全身の司令塔である脳にとって極めて不快なので
どうにかして、良い環境を手に入れたい。


良い環境というのは
セロトニンドーパミンが分泌されることだ。





セロトニンとかドーパミンは人から認められたり恋愛でも出るが、
人間関係で傷ついた人が誰とも合いたくないし、人に傷けられた人は人との関わりの中でドーパミンを得るのが難しくなる。




そういう落ち込みの状態は人間にとってツラすぎるので
手っ取り早く身近にあるモノ、つまり食べ物に脳も心も助けてもらい
なんとか自分を保とうとするのだ。












脳にとってストレスは直感的に
生命を脅かすものだ!という反応をする。


生命維持は最も果たされるべき人間の本能

だから脳はストレスを嫌って快を手に入れようとする。






脳がストレスを回避するためには手っ取り早く手を打とうとすると、
「食べる」ということに結びついてしまうだろう。




そのためついつい食べ物に手が出てしまい、
ガツガツと食べる。
結果として太ってしまう。



なぜ脳はストレスを回避する為に食べてしまうのかというと、
このメカニズムは脳の報酬系から説明できるらしい。











脳にとってはストレスを軽減するには
別の手段で”気持ちよくなる”ことが最良の手段。





そのために最も根源的な快感である「食べる事」を
選択し、快感を生み出すドーパミンを放出してストレスから逃げようとするのではないだろうか。





脳にとって食べる事は
ストレスを最も素早くお手軽に回避する極めて有効な手段なのだ。















空虚な心を抱えやすくなって現代において
食べ物は何よりの味方になるし救いにもなり得る。


自尊心を満たしにくく、
心の拠り所を持ちにくい人々が増えれば増えるほど、
過食症という食べ物依存症に


食べ物に癒しを求め、疾患という
治療が必要なまでにハマっていくケースが
増えていくのではないだろうか。





人と関わりたい気持ちと、関りたくないという思いなど、
満たされたいけれど拒否が怖いという人間関係が定着するようになると、恐らく、食べ物に救いを求める人々が増えてくるのだと思う。