aiがないビョーキ

摂食障害
「ai」がない病気かもしれない。









愛がない辛さ。「LOVE(愛)」

自分がいないツラさ。「I(自分)


世界の美しさに気付けない。「眼(eye)








愛を感じられないから
常に孤独と不安から逃れられない。


誰といたとしても、
そこから愛を感じられないから
一人ぼっちの感覚をどうしても拭いきれない。




愛を受けた記憶が無いから(受けたのかもしれない)
自分の価値を信じきれない。
価値のない自分が愛されると思えない。











自分が居ないから不安定だし
自分が無いから、心がない。
心で自分を抱えることが出来ない。




不安や悲しみをとりあえず保管しておく装置としての
心を持てない
から
日常生活の中で不安が強く、
小さな事を心配し、
それに気を取られて仕事や家事に集中できない。


ストレス耐性の低さによって衝動的な行動が引き起こされ
人間関係を壊したり、仕事を辞めたり、という
社会生活を送れずにさらに自尊心が傷つき
外の世界へと意識を向けるのが嫌になる。









他人を信じる事が出来ないから
世界を良いものとして捉えられない。


世界を味方だと思えないから
他人を信じることができず、
他人からもらえる安心感、自尊心を整える事が出来ない。











だから吐く。








心の中に激しい葛藤が渦巻いているのだけど
その大きな渦の存在を充分に認知できないでいる。


認知できないからこそ、正しく処理できずに、気づいたら心から溢れ出してしまっている。
良くないものが身体を駆け巡ったら生きていけないから
自分を守る為に過食嘔吐に頼らざるを得ないのかもしれない。







aiの無さから来る無力感、生きている実感の欠如によって
存在と存在価値の不安に対処しきれずに
過食嘔吐に頼らざるを得ないのだ。













人間は
他者の評価を気にせず揺ぎ無い自分でありたいと思いながらも
誰かからの(良い)評価が無いと不安でしょうがない。




実は、他人が居ない自分というのは空虚なものだ。
そして、自分が居なければ
他者との温かい交流など出来るはずは無い。







自分が居ないと他者とは築けない。
他者が居ないと自分が持てない。





だとしたら、どこから着手すべきなのだろうか…。














aiが無いままに生きていると
空虚さはいつまでも解消できないのかもしれない。