言葉という武器




摂食障害はもちろんだけど
精神疾患って、自分の感情を言葉にできなくて
感情を押しつぶして我慢してしまうから罹患してしまうことが
多いような気がする。







言葉にならない感情が自分の中で処理しきれなくなって
それが言葉によって発散できないから、自罰的多罰的に行動化して
どうにか自分のバランスを取ろうとするのだと思う。










言葉で伝えられない代わりに症状で訴えようとする
心の叫びなのだと思う













人の心が病んでいく過程には
必ずといっていいほど自分の気持ち、特にネガティブな気持ちを
言葉にすることができずに発散できなくなり、
消化できなくなってモヤモヤした気持ちを抱えながら過ごしていく
という感情抑圧
があると思う。




















そして、抱えながら受けるダメージが蓄積され
耐えられる限界を超えたところで精神が崩壊して
病むというレベルから精神疾患という医療の治療が必要な
トコまで進んでしまうことも多い。




それは、自分のネガティブな感情を表す言葉を持ち合わせていなかった
という事もあるのだろうけれど、それ以上に
暗くてマイナスでネガティブな自分の感情を
表現することが許されない環境で育ってきたということが
大いに寄与していると考えられる。


















人は、安心できる場所でしか
自分の感じたままの感情を表現することができない







例えば、
会社という戦場では
眠い、疲れた、ダルい、などと毎日感じていたとしても
それを言葉にすることは決して許されない。






なぜなら、みんなが緊張感も持って仕事をするための場所であって
個人的な感情を出すのは避けて競争をするものだという暗黙の了解があるから。





そんな環境では、自分のあるがままに感じる感情を
表現しようとはしないですし表現できないでしょう。









だから、
自分の感情を安心して表現できると思える家に帰れば、それまで抑えていたダルいとか、アイツがムカつくなどという言葉を
夫や妻に聞いて欲しいと思うのです。








自分の感情を表現するできるのは
表現することが許されているなぁという
安心感を持てる場所だけなのです。














ならば、どうして言葉にして感情を表すことが大切なのかと言えば
感情を認めてもらえないということは
自分自身そのものを認めてもらえていないのと等しいからだ。






嬉しいでも楽しいでも悲しいでもムカつくでも
自分の感情を認めてもらってこそ、その人の存在そのものが
認められてるということなのだ。






その人個人の感情そのものが
個性と言ってもいいのだ。
















しかし、幼い頃の体験を含め
自分の感情を安心して表現できなかった人というのは
モヤモヤが溜まっていくし、自分を認めてもらっていないと感じながらいきているから
自己肯定感が育たずに成長しているケースが殆どだ。



なぜ表現できなかったのかといえば
両親がネガティブな感情を表現する子供は
手がかかって面倒だから、という意識を持って子育てをする。



その中で、ネガティブな感情を表現する子は嫌いだよっていう
子供に無言の圧力をかけるのだ。







だから、子供はネガティブな感情を表現できなくなる。
なぜなら、幼い子供が親に見捨てられるというのは世界で一番耐えられないことだからだ。






いい子になって見捨てられないのならば、
喜んで自分の感情くらい捨ててしまえるのが
子供なのだ。





そんな中で過ごしていれば自分の自然な感情を出すことは
いい子な自分で無いから嫌われてしまう、だから
いい子であり続けるためには感情抑圧をしなければならない、という
思考に行き着いてしまう。





つまり、自分の感情を尊重してもらえる
という安心できる環境で育つことができないと、
モヤモヤした気持ちを言葉に出来なくなり
いつしか爆発してしまうと言う事だ。















自然に感じているネガティブな感情を表現してしまう自分は
いい子ではない、だから嫌われてしまう。
嫌われるくらいなら感情を押し殺した方がいいって考える。




けれど、感情が認めれないってことは
存在を認めてもらえていないってことだから、
心がドンドン寂しくなっちゃう。






「この世界では、
 誰もありのままの自分を認めてくれはしない」って




そうした心のポッカリした部分を
一瞬でも埋めてくれたり、ポッカリしていることを
忘れてしまうために、例えば摂食障害に走ってしまうのだろう。



拒食や過食で体重と食に思考を占領されていれば
心の寂しさを何も感じなくなることだって可能だ。
むしろそうすることで、抱えきれない苦しさをから身を守ることだって出来る。












言葉で確認してみると、
抱えていた気がかりが自分が思うほど大した問題ではないことがわかったり、ツライ気持ちも言葉にしてみるだけで
楽になれることもあるのです。







逆に言えば
安心して感情を言葉にしていいんだって思える感覚がなければ
言葉に出来ないからドンドン溜め込んでしまうということになります。



























ありのままで面倒な感情を抱える自分でも
存在を認めてもらえるという
生きていく上で基本となる世界の安心感を与えてもらえない
子供が、最近はあまりに多すぎる。






愛情を知らないまま育つ子供が多い世の中、
自分自身の気持ちを言葉にできない
(言葉にしないのが良い子で親からも認められていたし
言葉にするトレーニングも積んでいない)




言葉に出来ないから、食べ物に頼ったりアルコールに頼ったり
してモヤモヤをなんとかしようとするだ。


生きていくために。














それはつまり、言葉という自分のモヤモヤを表現する武器を手に入れることができれば
アルコールにも食べ物にも頼らずに
モヤモヤとも付き合っていけるということだ。





言葉で伝えれば健全だし副作用も少ない。
そして何より、言葉が伝わってわかってもらったときの
あの、自分は受け容れられたという温かい感情に包まれることだってできるのだ。











感情を言葉で表現する。

そして安心して表現できる環境に身をおくことができれば
余計な痛みを伴わない、言葉という健全な武器でもって
自分のマイナス感情とも付き合っていけるのだ。







感情を持つ事を恐れることはないのだ。
だって、感情はあなたそのものなのだから。